知っているようで知らない十二単衣の話

平成から令和に時代が変わり、昨年10月には即位典礼の儀がおこなわれました。

伝統的な衣装を見て、本物の着物って本当に美しいなぁと思ったのは私だけでは無いはず。

皇后陛下がお召しになった、十二単衣。源氏物語の雅な世界も想像しますが。その歴史やこぼれ話を知っていますか?

 

十二単衣の歴史、重ねの順番

そもそも十二単衣って何でしょう。

十二単衣は、平安時代の成人した女性の正装でした。宮中行事などの公の場で来ていた着物です。

その始まりは平安時代の中頃、女房装束として広まりました。

十二単衣という名称が広く知られていますが、正式名称は「五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)」と言います。

・唐衣

1番上に着る衣です。その下に重ねる布地が見えるように、少し短くなっています。身分によって、地や色、文様にルールがありました。

・表着

空衣の下に来ます。高級な生地で作られ、表地は赤や萌黄などに文様、裏地は無地の衣です。

・打衣

表着の下に着る衣です。表地は綾、裏地は平絹でできており、光沢がありました。

・五衣

5枚重ねで着る衣です。袖口や襟、裾が細く見える着方をしていました。5枚のカラーコーディネートが重視され、「襲色目(かさねのいろめ)」と呼ばれました。当時の高いファッション意識がうかがえます。

・単衣

裄と丈が、他の衣より大きく長い衣です。色柄のルールはなく、生地は平絹や綾、色は赤や緑、白が主流でした。着用した時、重ね着の一番下に見えるのが、この単です。

 

重ねは、一番外側から順に、唐衣(からぎぬ)→表着(うはぎ) →打衣(うちぎぬ)→五衣(いつつぎぬ)→単衣(ひとえ)→長袴(ながばかま)→裳(も)から成っています。

これを聞いただけで、なんだか重そう、暑そう…。

温暖化が進む現代ですが、平安時代は平均気温が1℃程今より低かったそうです。重ね着は、暖かく過ごす工夫だったのでしょう。とはいえ夏は大変ですよね。

 

十二単衣の重さはどれ位?

見るからに重量がありそうな十二単衣。実際の重さは一体どれ位だったのでしょうか?平均的には約20キロと言われています。…20キロ!

着るだけでも一苦労なのに、これで動き、1日過ごしていたと思うと驚きです。肩こりも相当だったのではないでしょうか。現代ではさすがに無理ですね。

ちなみに重ね着の枚数が12枚を超える場合もあったそうで、枚数に比例して、重さは50キロ60キロとなったと言う話もあり、まさに想像を超える数字です。

 

身分によってルールあり。通勤着説も?

十二単衣は、宮中に出仕する身分の高い女性の装いです。つまり、仕事着の正装だったのです。

有名な女性としては、紫式部や清少納言が挙げられます。

仕えられた側、身分の最も高い女性たちは、十二単衣を着ていなかったと言います。

十二単衣はすごくカラフルで女性は憧れる着物ですが、好き勝手に色柄を選んでいいわけではありませんでした。

身分によって、身に付けられるものやそうでないものが決められていたのです。

あれだけの重さの衣装を身につけて仕事をする…現代ではなかなか考えられないことですよね。平安の女性たちは強い!

 

実際には、12枚もなかった?

十二単衣と言うからには、12枚の着物を重ね着しているように思いますよね。12枚着る時ももちろんありましたが、8枚の場合もあったようです。

逆に16枚重ねたという話もあり、状況によってまちまちだったことがうかがえます。

12というのは、たくさんあることの表現に用いられました。実際の枚数はどうあれ、十二単衣と言う響きは、色とりどりの重ねを鮮やかに想像させて、みやびな表現ですね。

 

十二単衣以外に着ていたものって?

平安時代の代表的なファッション、十二単衣。でも十二単衣以外にも、女性たちの着ている着物があったのです。

準正装や日常着として、「小袿(こうちぎ)」。十二単衣を簡略化した、少しカジュアルな装いです。

「細長」も、身分の高い女性の衣装でした。唐衣と裳がつながったような装いで、鎌倉時代には見られなくなりました。

以上、十二単衣のあれこれをご紹介しました。重くて動きにくくて大変そう、でもやっぱり美しい。はるか平安時代に思いを馳せて、一生に一度は着てみたい・・・かも?

現在は工業化して機械織がほとんどですが、良い着物は日本人は着物に憧れますよね。