繊維と帽子(日本編)

埴輪の帽子と聖徳太子の冠

 

今回は繊維と帽子をテーマに、日本の頭のかぶり物を雑学的に考えてみたいと思います。特にまとまりがあるわけではありませんが、おひまなら読んでみてください。

 

さて、いきなりですが、日本の埴輪(はにわ)、いろいろ姿があって可愛いですよね。埴輪は古墳から出土する日本の古墳時代特有の焼き物です。

 

あの埴輪の中に人物埴輪という人の形のものがあり、その中にはまさに現代のような帽子をかぶった姿の人物埴輪があります。ちょうど探検隊がかぶっているような帽子です。アニメの『けものフレンズ』をご存じの方なら、あれに登場する「かばんちゃん」のような帽子を思い浮かべてください。

 

埴輪の場合、詳細まではわかりませんし、材質もわかりません。製造技術の問題もあるので、できあがったものがたまたま現代の帽子のように見えるだけで実物は全然違うものだったのかもしれません。ただ、6世紀頃の人物埴輪で、明らかにツバのある帽子状のものが見られるので※1、古墳時代にはなんらかの帽子状のものはあったと思われます。

 

古墳時代の後、飛鳥時代、いわゆる聖徳太子の時代には冠がありました。聖徳太子は「冠位十二階」という制度を定めたとされていますが、「冠位」というくらいですから冠があったわけです。

 

もっとも、この冠は、西洋の王さまがかぶっているような冠ではなく、かつて聖徳太子だとされていた絵(冒頭の絵)に描かれているような袋状のかぶり物と考えられています。これは絁(あしぎぬ)と呼ばれる絹織物からできていたものでした。

 

この絵の冠は聖徳太子のいたとされる時代より後の時代のものだという説もありますが、基本的にはこのような絹製の冠があったわけです。

 

 

烏帽子

 

(『伴大納言絵巻』)

 

飛鳥時代の次が奈良時代です。おおざっぱに言えば710年平城京遷都後の時代です。ちなみにその後が平安時代(794~1185前後)です。

 

この時代に頭にかぶるものとしては烏帽子(えぼし)というものもあります。烏帽子はもともと貴族の礼装に使われた帽子です。ただ、その後、幅広い階層に広まり、一般庶民でも男性は烏帽子をかぶるようになりました。上の『伴大納言絵巻』は12世紀の作品で平安時代の応天門の変(866年)を描いたものです。

 

絵の中の人々がかぶっている細長い帽子のようなものが烏帽子です。この絵にはさまざまな階層の人が描かれていますが、みな驚くほど一律に烏帽子をかぶっています。よく見ると女性もいますが、女性はかぶっていません。

 

つまり、当時の男性にとって烏帽子はかぶるのが当然のものだったのです。

 

現在でも、大相撲の行司の方がもう少し平たいものをかぶっていますが、あれも烏帽子の一種です。神主さんも正装では烏帽子をかぶっています。

 

歴史的には烏帽子も冠同様、絹織物だったとされていますが、その後、紙でつくって漆を塗って固めたものが登場しました。庶民版としては麻でつくられたものもあったようです。

 

 

お化けの額烏帽子

 

ちなみに、よくお化けが三角の布を額に付けています。上の絵の右端のお化けのような感じです。

 

あれは無意味に付けているわけではなく、もともと、死装束(しにしょうぞく)のひとつでした。死装束とは、亡くなった方を埋葬する際に着せる衣裳です。土葬の時代、白い服を着せ、額に三角の布を付けていたのです。

 

これは閻魔(えんま)大王に会う際に失礼のない礼装であるとかいろいろ説がありますが、この三角の布は天冠(てんがん)とか額烏帽子と呼ばれていました。

 

この名前は、この三角の布が上述の冠や烏帽子を象徴するものだという意味です。

 

額烏帽子については、もともと、烏帽子をかぶれないようなこどもが烏帽子を真似てつくった飾りが変化したのではないかという説もあります。最初は烏帽子同様に黒い三角だったものが死装束の白い服に合わせて白い三角になったのだそうです。定かではありませんが、こどものおもちゃが由来だとするとおもしろいですね。

 

 

笠と帽子

 

(葛飾北斎『富嶽三十六景』隅田川関屋の里)

 

時代が下り、江戸時代によく使われたのが笠(かさ)。葛飾北斎がさまざまな場所で見える富士山を描いた『富嶽三十六景』にも菅笠(すげがさ)をかぶった人が多く出てきます。時代劇でも三度笠姿をよく見かけます。笠は割と高さもあり、へたることがないので髷を結っていてもかぶりやすかったのでしょう。

 

笠は、傘(差し傘)と区別するためにかぶり笠(かぶりがさ)とも言います。つまり、手で持つのではなく頭に固定する「かさ」です。傘地蔵のお話にも出てきますね。あれも頭に載せるだけだから成り立つ話です。

 

笠は主として草や竹などで編まれるもので、日本だけでなく東アジアや東南アジアでも広く使われています。ベトナムでもノンラーという笠に似たものを農家の人などがかぶっています。ただ、ヨーロッパでは「笠」的なものはあまり見かけません。洋装に合うのはやはり帽子なのでしょう。

 

日本では明治維新で髷(まげ)を結う習慣がなくなってから帽子が普及したそうです※2。

たしかにちょんまげみたいなものがあると帽子をかぶるのは難しいでしょう。

 

この西洋の帽子については続編で語りたいと思います。

 

 

まとめ

 

明治以降の日本では、古来の被り物をかぶる人はほとんどいなくなってしまいました。神主さんや相撲の行司が烏帽子をかぶっているのと、結婚式の角隠し・綿帽子くらいでしょう。少し残念な気もします。東京オリンピックの暑さ対策としても菅笠タイプの帽子が一時期提案されて話題になっていました。もし、東京オリンピックが開催されるなら、ぜひ、あの菅笠、採用して欲しいものだと思っています。

 

 

※1https://www.town.tamamura.lg.jp/docs/2019091000187/ (2020年5月29日閲覧)

※2鈴木 モーレン「帽子の変遷」繊維製品消費科学41 巻 (2000) 6 号p. 519-528